この作品は抽象画と文章でひとつの作品となっています。
文章はフィクションでもノンフィクションでもなく、
文章を使った抽象画作品のようなものだと考えて頂ければと思います。
書いた私自身の生き方のポリシーとは全く違う表現もありますので、
あくまで創作物としてお楽しみください。


《作品についての解説》
愛おしさとは何なのか。本当の愛とは何なのか。それを考察することで自分自身を許し受け入れることができるようになるのかもしれない。そんな思いを込めたこのたわいもない文章には、奥の方に、家族愛についての思いも隠れていたりします。


『痛みは麻薬、そして愛というものについて今書くべきことばたち』

これを書き出すまでに途方もない時間がかかってしまった。じっさいのところ、2920日目ごろには書くための準備はできていたのだけれど、書いてはいけないものだと信じて生きてきたので、書こうという気さえ起こらなかったのだが。それでも、5110日目頃だったと思う、たぶん、きちんと線が引かれているノートに、無造作に文字を書き散らしてみたことも実はあった。なぜ書こうとしたのかはわからない。きっと、当時、少し流行っていたどこかの詩人とか歌謡曲とかを真似して書いてみたくなったのかもしれない。ノートの最初の数ページに、小さな小さな文字で、その頃好きだった女の子への片思いに関するようなくだらない思いを書きなぐった程度で、結局、やめてしまった。

で、その封じ込めた気持ちはどこかへ消えて散ってしまったのかというと、そうでもないみたい。もちろん、その片思いの女の子のことなんてどうだってよくて。というか、覚えてもいない。そんなことは関係ないのだよ。ただその頃に表現し尽くせなかったという感覚だけが、いつまでも残ったまま。身体にまとわりついている。そしてそのまとわりついた層は、年々、姿形を変えていき、今では、縄のようになって、私を縛り付けている。その縄は、まるで、サディズムおよびマゾヒズム的な性的嗜好行為に使われる縄のようなもので、痛いということすら忘れさせてしまう位の快感となっているから、タチがわるい。この縄に拘束されていること自体が生きる意味となってしまっているから。もし、この縄を解かれてしまったら、もうその先には絶望しかない、そんな恐怖で怖気づいてしまう。

誰のことを好きだったのか、誰のことを愛していたのか、誰とセックスしたのか、そういうことに何の意味もない。誰か特定の1人と、1対1で起こった出来事だったり、生まれた感情だったりは、実は、その相手のことを見つめて生まれたものなんかじゃなかったんだ。すべて私が私の都合で勝手に独りよがりで感じたこと。愛なんて存在しない。それがすべて。もちろん、最中にはそんなこと気付きもしないよ。私の気持ちも肌も指もすべてが特定の1人のために存在しているんだと信じていた。愛があるから、こんなに涙が溢れて、愛があるから、重ねた肌の温もりが心地良くて、愛があるから、全身で汗を混ぜ合わして、愛があるから、エクスタシーを感じることができると信じていた。バカだねぇ。

愛と、それに似たような感情や行為を分けて考えるようになった私は、自由を手に入れた。けど、愛を手に入れたかどうかはわからない。でも、なんとなく愛が分かってきたような気はしてる。少しづつだけど、私をきつく縛ってきた縄が緩んできているような感覚。でも、所詮バカな生き物なんだろうね、せっかく縄が緩んできたというのに、緩んだら緩んだで、もっときつく縛って欲しくなったりする。だから、SMプレイにハマる人たちが一定数いるのかもしれないけれど。痛みは、麻薬だ。歳を重ねれば重ねるほど、この麻薬の力から逃れられなくなってしまうのかもしれない。

こんなくだらないことを思いつくようになった私は、これまで毛嫌いしていたはずだった、人の弱さや無様さ、ずる賢さなんかをとても愛おしく思えるようになりつつある。もしかすると、これが愛というものなのかもしれない。

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